2018年5月26日土曜日

3 罪や過ちは消すことができないのか?(2)

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「考えれば考えるほど、むずかしい問題だよな」
 誠一くんが言った。
「俊矢くんのために『罪に縛られる必要はない』という結論にもっていかなければならないんだろうけど、でも、簡単にそう言えることじゃないよな」

「…………」

「たとえば政治家――彼らは汚職や問題発言をくり返すくせに、自分が犯した過ちをけっして認めようとはしない。追い詰められるほど非難されないかぎり謝罪もしなければ罪を償(つぐな)おうともしない。
 彼らは『ときが経(た)てば誰も追求しなくなる』という身勝手な論理を行使して、一時的に身を引いては世間が騒がなくなったころを見計らって何事もなかったかのように復帰する。
 こういう人間を見ていると『犯した罪はけっして忘れてはいけない、罪はずっと背負って生きていくべきだ』って言いたくなるよな」

「でも、それは反省する意志のない人間のことだよね? 俊矢はちがうよ。自分は過ちを犯した罪ぶかい人間だって認めてるんだ。そして自分を責め、みずからを苦しめているんだよ、自分のことを『不幸であるべき人間だ』って言うくらいに」

「そう、カツオの言うとおりだよ」
 賢策くんが言う。
「本人に反省の意志があるのかどうかは、重要なポイントだよね。
 イエス・キリストは『悔(く)い改めなさい』って説いているけど、これって『反省しないかぎり罪が消えることはない。だから反省して、もうおなじ過ちをくり返さないようにしなさい、そうすることで罪は許されるのだから』って意味だよね。
 宗教的論理だって言ってしまえばそれまでだけど、でも『罪』ということに対しておもいっきり当(とう)を得ていると思うな」

 オレと誠一くんは、うなずいた。
 そうなんだ、俊矢はもう反省してるんだよ。真面目(まじめ)に、努力して、ひたむきに生きていこうとしてるんだ。
 でも……。

「俊矢は、反省したからって、自分を許す気はないんだ……」

「そうだな、いちばんの問題はそこだよな」
 誠一くんが言う。
「俺たちのように第三者の立場であれば『反省したんだからもういいじゃないか』って言えるけど、本人はそうはいかないよな」

「そうなんだ……自分を許すのって大きな矛盾をはらんでるんだよ。
 本来、許すってのは、加害者に対して被害者がするものだったり、裁(さば)く資格をもつ者がその権威によってするものだったり――とにかく他人なんだよ、許せる立場にあるのは。
 ……でも罪悪感の場合は、許す対象は自分自身なんだ。許せる立場にない人間が許そうとしても、そう簡単にできるわけがないんだ……」

「それに、やってしまったこと、起こってしまった出来事は、もう変えることはできないしな。それは事実としてずっと残るんだ。
 そういう意味では『いちど犯した罪や過ちはもう消すことはできない』ってことになるんだろうな。過ちを犯したのは自分自身なんだし、その記憶は鮮明に自分の心に焼きついているのだから」

「そう、誠一の言うとおり『記憶』なんだよ」
 賢策くんが言った。
「つまり罪悪感というのは、『記憶に縛られている』ってことなんだよね。
 記憶――つまり『過去』なんだよ。
 罪とは何か? それは『否定すべき過去』のことなんだ。
 そして、『罪に縛られる』というのは、『否定すべき過去にとらわれて、自己否定からのがれられなくなっている』という状態のことなんだ」

…………
 オレと誠一くんは、顔を見合わせた。

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